戦後76年。今更ながら、はっとした。オレが生まれたのは終戦から、たったの16年しかたっていない頃。さらに、物心がついた年でも20年余りだ。
かすかな記憶とはいえ、焼け野原と言われた東京の 戦争の痕跡は微塵もなかった 。今まで、そのことに思い至らなかったが不思議でならない。平和ボケと言われてしまえば、まぁ、おしゃる通り。 16年、20年を、たったと思える年になったともいえようか。
ただ、大小の土管がそこかしこに積まれていた。5,6歳のころ悪さをして、夜、家を出された時、道端の大きな土管にもぐりこんで、膝を抱えて不安に耐えたのを覚えている。 あの頃からだんだんに水洗トイレになっていったように思う。
年中、電線工事をしていた。電信柱の下には、銅線(当時、赤と言っていた)の切れ端がいくらもあり、町中をうろついては、それを集めて売った。いい小遣いになった。 空地が減っていった。
あれっ、いつの間にかノスタルジー?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です